|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 健 : [けん] 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness ・ 一 : [いち] 1. (num) one
山本 健一(やまもと けんいち、1922年 - )は、元旧海軍出身の技術者将校で、戦後東洋工業(現・マツダ)に入社し、開発リーダーとして世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功した自動車技術者。のち同社代表取締役社長、最高顧問などを務めた。 == 来歴・人物 == 熊本県生まれだが、後に広島県広島市中区白島に移り住む。原爆で妹を亡くす。 バンケル式ロータリーエンジンを実用化し1967年、搭載車コスモスポーツを発売した。ロータリーエンジン開発までの苦闘はNHK「プロジェクトX〜挑戦者たち〜 ロータリー47士の闘い 夢のエンジン・廃墟からの誕生」でも取り上げられた。広島県三次市にあるマツダの三次自動車試験場内のテストコースには「飽くなき挑戦」の石碑が建っている。 愛車はルーチェ4ドアハードトップ・ロータリーターボ。 == 略歴 == *1944年(昭和19年) - 東京帝国大学(現在の東京大学)第一工学部機械工学科を一年繰上げで卒業。同時に川西航空機に入社。茨城県土浦市にあった海軍第一航空廠に配属される。 *1946年(昭和21年) - 母の勧めで、東洋工業に入社。 *入社当初は設計・開発を希望したものの認められず、ライン工からで腐って酒場でやけ酒を飲み、他の客に絡む程だったが、広島市内を走る3輪トラックや人たちを見て気持ちを入れ替え、必死に働き勉強する姿が社内で認められ、やがて設計部門に異動となる(前述「プロジェクトX」より)。 *1956年(昭和31年) - 東洋工業初の4輪トラックのロンパーの設計責任者となる *1960年(昭和35年) - 初の4輪乗用車「R360クーペ」の設計を担当。 *1962年(昭和37年) - 第2次技術研修団としてNSU社(現:アウディ)に派遣される。 *1963年(昭和38年) - ロータリエンジン研究部のリーダーに任命される。 *若手中心のメンバーで後に“ロータリー47士”と呼ばれる。 *1967年(昭和42年) - コスモスポーツ発売 *1978年(昭和53年) - ロータリーエンジン研究部辞退後、常務に就任 *1984年(昭和59年) - 代表取締役社長に就任 *1987年(昭和62年) - 代表取締役社長を辞任、会長に就任する。 *1992年(平成4年) - 退社、相談役最高顧問に就任 *1995年(平成7年) - 相談役就任 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山本健一 (マツダ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|